第二次世界大戦の激戦地ソロモン諸島の戦闘を調べてみました
今でこそダイビングやマリンスポーツのスポットとして有名なソロモン諸島ですが、第二次世界大戦の激戦地だったことを知りました。第二次世界大戦当時ここでどんなことがあったか、いろんな記事を読んだり調べたりしました。あの有名な「ガダルカナルの戦い」ソロモン諸島だったなんて初めてしりました。記事を読んだり調べたりしたのでご紹介します。
なぜソロモン諸島が戦略上重要で歴史に残る激戦が行われたか?
- アメリカとオーストラリアを分断させるため
- 東南アジアや太平洋を制する上でアメリカ軍にとっても日本軍にとっても重要な地域だった
ソロモン諸島での戦闘 時系列
注:ガダルカナル島はソロモン諸島最大の島
- 1942年7月:日本軍がソロモン諸島のガダルカナル島を占領し飛行場を建設する。
- 1942年8月:アメリカ軍がガダルカナル島上陸/第一次ソロモン海戦/第二次ソロモン海戦
- 1942年10月:南太平洋海戦
- 1942年11月:第三次ソロモン海戦/アメリカ軍がガダルカナル島占領
- 1942年12月:日本軍撤退決定
- 1943年2月:日本軍撤退完了
戦略的に重要なガダルカナル島に日本軍が飛行場を建設し始めました。それを阻止するためにアメリカ軍がガダルカナル島に上陸、そのアメリカ軍の活動を阻止するために日本海軍がアメリカの軍艦を攻撃、第一次ソロモン海戦が起こり日本軍が勝利し、次にガダルカナル島に上陸して奪還する作戦の前に、アメリカ軍の戦力をそぐために第二次ソロモン海戦が起こった。結果は日本軍の敗北で、陸軍の上陸奪還作戦は延期される。その後日本陸軍がガダルカナル島のアメリカ軍飛行場(ヘンダーソン飛行場)を総攻撃することになり、その支援に日本の空母艦隊が出撃し迎え撃つアメリカ機動部隊と大規模な戦闘になった。これが南太平洋海戦。日本軍は勝利したがヘンダーソン飛行場の攻撃は失敗に終わった。ガダルカナル島で劣勢に立たされる日本軍は挽回しようと艦砲射撃で飛行場破壊、陸軍と大量の補給物資を輸送しようと作戦し実行した。そこで迎え撃つアメリカ軍と第三次ソロモン海戦が起こり、日本軍は敗北しガダルカナルの戦局はますます悪くなり最終的に多くの戦死者、餓死者を出し撤退した。
最大規模の戦闘:ガダルカナルの戦い
補給がうまくいかず大量の餓死者が出ていたことからガダルカナル島は日本軍では「餓島」と呼ばれるようになった
戦死者数
- 日本軍 約22000人
- アメリカ軍 約7000人
ソロモン諸島周辺で沈没し、グーグルマップで沈没場所が見られる艦
- 空母 龍驤
- 戦艦 比叡(自沈処分)
- 戦艦 霧島
- 重巡洋艦 古鷹
- 重巡洋艦 加古 (帰路)
- 重巡洋艦 衣笠
- 軽巡洋艦 由良
- 駆逐艦 照月
- 駆逐艦 新月
- 駆逐艦 陽炎
- 駆逐艦 黒潮
- 駆逐艦 親潮
- 駆逐艦 嵐
- 駆逐艦 萩風
詳しく知りたい人は(リンクまとめておきます)
- Wikipedia 第一次ソロモン海戦 第二次ソロモン海戦 南太平洋海戦 第三次ソロモン海戦
- 産経新聞 第1次ソロモン海戦(上) 作戦名「殴り込み」 ガダルカナル奪回狙い、得意の夜戦奇襲仕掛ける 産経WEST 2015/9/3 15:00
- 産経新聞 第1次ソロモン海戦(下) 山本五十六が激怒した重大ミス 戦果に満足し第1目標「米輸送船団」逃す 産経WEST 2015/9/10 11:30
- 大人の教養TVさん 【ガダルカナル島の戦い】日本兵2万人が犠牲になった飢餓の島…地獄の戦場を現地からわかりやすく解説
- 大人の教養TVさん 【ガダルカナル島の戦い】わかりやすく解説!飢餓に病気、銃剣突撃…日本軍の不幸はなぜ起きた?
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